「するべき自分」と「あるべき自分」に折り合いをつける

こんにちは、丸ゴリです。

 

手帳を前にウンウンにらめっこを続けているんですけど、

自分でスケジュールを決めて、人生を充実させていくうえでどう考えても

「2つの視点で物事を見ないとうまくいかないかなぁ」

こんなようなことを考えるに至りました。

 

  1. どうするべきか
  2. どうあるべきか

 

この2つの視点から問いかけて、自分が向かう方向性や、直近のスケジュールなんかを組んでいくといいんじゃないかと思います。

 

どうするべきか?について

 

これは周りをよく見るということですね。

 

例えば、僕がミュージシャンになりたいとします。

世界に誰も歌を歌ったり、楽器を弾いて音楽を奏でられる人がいなければ、今この瞬間にだって僕はミュージシャンになれます。

しかし、そうではない。

世界には僕よりもはるかに歌がうまい人、楽器がうまい人がたくさんいます。

音楽の良さは単純にうまい下手の問題ではないですが、心に響く音楽を奏でるという観点からしてみても、彼らの方が優秀でしょうね。

また、音楽を仕事としてみた時に、演奏を求められる現場、機会というものがどれだけあるかというのも重要です。

例えば、「各飲食店で必ず生演奏をするのが当たり前」という世の中であれば、音楽を生業として食べていくのもいけそうな気がしますけど、現実はそうではないですもんね。

世界をいきなり自分の思い通りには変えられない。

であるならどうするか?

 

それには世界がどうなっているのかを先によく見ておくことが必要です。

具体的には決まった新聞を購読したり、読む雑誌を決めて定期購読したりするなど、

情報が必要になった時に自分から得ていく『調べものスタイル』ではなく、普段から定点観測的に目に写していく作業ですね。

これをやった方がいい。

 

社会を”なるべく”歪みの少ない情報を元に見つめ、自分なりの見通しを持つことで「では、自分はどうするべきか?」という視点、考え方を得ることができます。

10~20代の頃はこれが難しい。どうしても

「自分はこうしたい」

「世間はこうあるべきだ、こうあってほしい」

という部分が優先されてしまう。

これが俗にいう『夢をみる』っていう状態ですね。

 

ただ、先ほども述べた通り、世間が自分の思った通りに変形して、自分のやりたいことにピッタリ合わせてくれるというのはまずないわけで。

自分の方から世間にフィッティングしていく、っていう作業はどうしても必要です。

 

自分が「こうしたい」と思っていることをうまく世間にはめ込むための隙間を見つけるためには、自分の知りたい情報だけをマイペースに得るだけではなく、

世の中がどんなスピードで、どちらの方向に進んでいるのかを常に把握しておくことです。

 

これを航海に例えるならば、天候を読むようなもので。

「自分は宝を求めて、どうしても南の方向を今日中に進むんだ」

いくら強い意志で船を進めても、南から嵐が迫っていればやられてしまいます。

周囲の天候や気温や湿度、風向きの変化など周りを常によく見ていれば違うルート、安全な日程で『宝を手に入れる』という目的を果たすことができる確率はグッと上がります。

 

僕が20代に差し掛かった2000年代はちょうどネットが新聞などの紙媒体のメディアを追い越す時期で、やっぱり「無料で早くて大手メディアのバイアスがかかってない情報は最高だ」なんて風潮がありましたよ。ええ、乗りました乗りましたとも。

でも今となってはやっぱりちゃんとしたメディアから情報を取ってる人の方が強いな、ってシンプルに思います。

ネットの情報で誰でもなんでも書けちゃいますし、裏取りもできてないことが多い。

そうなった時に読者から決して安くはない購読料をもらった会社が、足を使うための人員を雇って情報収集しているメディアというのは素晴らしいな、と。

時代の流れを読む嗅覚を研ぎ澄ませておくのは重要ですね。

 

『○○をやりたくてしかたがない自分』を一旦、棚上げして「どこが今来てるのか?」「これからどうなるのか?」を冷静に分析し、

「だからこれからはこうするべきだ」という判断をしていかないと、誰にも必要とされていないものを生業にしようともがく羽目になりかねませんから。

 

どうあるべきか?について

 

ある程度の大人、特に中年期以降のおじさんに多いのかな。

世間のことを知りすぎてしまい、一番無難なポジション、隙間に収まってしまうことってありますよね。

 

『○○株式会社 ○○部 ○○課 ○○マネージャー補佐』みたいな肩書が名刺に入ってもう何年も変わってない、みたいなパターンです。

 

僕ね、こういう方ってすごく頭が良いんだと思うんですよ。

学生の時、一緒にバカやってて何にも考えてないんだと思ったら、しれっといい会社の内定もらってきてるタイプ。

いや、僻みじゃなくてね(笑)

 

世間ってほんと一回ドロップアウトすると戻るのって大変。

でも若い時ってあんまそういうのわからなかったり、怖くなかったりするじゃないですか。

え?僕だけ?(笑)

「どうだっていいさ 先の保障など♪」

なんてロックの歌詞にあやかって、破けたジーパンで粋がってた時期もありました。

ですけど、やっぱ先の保障欲しいですよ(笑)

特に家族を持って、いざ子供が産まれるとなると特に。

出産費用の42万円が助成金としてポンと払い出される国のシステムを利用したときはマジで保険料納めててよかったなって思いました。

 

たぶん高校生とか大学生の段階でそういうものがない怖さや、自分に対する『分相応(その人の能力・地位にちょうどふさわしいこと。)』感覚を持ててる人って世間の空きスペースに収まるのがうまいんですよね。

それは本当に素晴らしいことで、結婚するならまず第一にこういう人を選ぶべきです。

 

で、

 

そのままでも十分素晴らしい人生だと思うんです。

まったく変える必要なんてないし、そのまま余生を送ることができれば誰も傷つかない。

ソフトな人生。

 

でも「アレ?自分ってこんなことがしたかったんだっけ?」っていう違和感を感じることもあると思うんです。

周りのニーズ、「自分が何を求められているか」がよくわかっちゃう頭のいい人ほど陥りやすい行き止まりみたいなものですね。

べつに悪くはないはずなんだけど、なんかモヤモヤする。コレジャナイ感。

これはこれですごく大事な感情だと思うから、無理やりフタをしたり、見て見ぬふりをすべきじゃないと思います。

ってかして欲しくない。

 

そういう時は「本当は自分がどうしたいのか?」をトコトン問うてみましょう。

これは航海に例えるならまさしく「宝を探しに行く」ことそのもの。

 

宝を探しに行かずに、慣れ親しんだ周辺海域を回り続けるのはただの沿岸警備、内海での漁に似ています。

同じことを続けていれば暮らしに困ることはありませんけど、未知の獲物、伝説のお宝に遭遇することもありません。

 

しかし必ず存在することがわかっているお宝というものは存在し得ないわけで。

だってそこにあることが確定していて、場所もわかってるお宝は誰かがすぐに獲っちゃうじゃないですか。

 

あるかどうかもわからない不確かなものを見つけに行く原動力は結局のところ、「だって自分がそうしたいから」しかないんじゃないですかね。

 

世間の空きスペースから考える「するべき自分」ではなく、

自分の中から湧き上がる、オーダーメイドの「あるべき自分」を思い描き、

「するべき自分」と「あるべき自分」をぶつけ合うこと。

 

これをひたすら繰り返していくことが、

勘違いに走るでもなく、

また物分かりのいい無難な態度でもない

納得もできて、結果も出やすい生き方や日程、スケジュールの組み方につながるのでは?

 

そんなことを考えています。

 

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