会社に尽くしてしまうのは間違い?永遠に救われない『暗黙の社内ルール信者』




  • サービス残業とか休日出勤とかおかしいとは思うけれど、先輩や同期もみんなやってるしついつい自分もやってしまう。
  • 飲み会と社内のゴシップばかりで超くだらないと思ってるけど、毎月第3木曜日の飲み会は付き合いもあるから断れない。

どこにも書いてはいないけれど確かに存在する『暗黙の社内ルール』

これに従うだけならまだしも、それを周りにも強要する人っていませんか?

 

「いや、俺もやってんだからお前もやれよ。ウチの社員だろ?」

こういうことが今の時代にまだ言えちゃうタイプの人って

 
新卒で入社した会社は家族や親族に等しい大切にすべきもの
 

まだどこかにこういった思い込みが抜けきれてないのでは?そう思います。

そしてそのさらに先にはこんな思惑が見え隠れしますよね。

 
会社を信じて大切にすればいつか報われる
 

この『お祈り的思考停止』に陥って、

  • どう考えても意味がない
  • 社外では全くの非常識

こういった暗黙の社内ルールを信じ続けている99%の人は平成生まれであろうが、頭の中は完全に昭和30年代のままです。

『会社は家族』ってのは、今の60代より上ぐらいの人が自分たちのために生み出した『まやかしの宗教』ですからね?

『会社は家族』が昔のツールだということに気がつかない

地元も違えば、血縁関係もない、本来金を稼ぐための集まりでしかないはずの組織に対して家族的な愛着をもってしまうのはハッキリ言って異常な心理です。

それなのにことあるごとにやたら飲みに行き、休みの日も集まり、会社の上下関係がそのまま人間のヒエラルキーのように年長者が偉そうにし、若年層はご機嫌をうかがわなければいけない。

おかしいと思ったことはありませんか?

とくに仕事のできない年だけ食った年長者にまで偉そうにされてアゴで使われるのはなんとも納得がいかないですよね。

 

これって何かに似てるんですよ。

そう、『田舎に帰った時の親族同士の付き合い』です。

 

戦後の日本ではこの『田舎式の繋がり方』をそのまま会社の企業活動に当てはめて行きました。

そうすることで『集団就職で地元、親元から引き離された若者』がビックリしないようにしたんです。

考えてみたらわかることですが、15~16歳で地元の田舎を出たこともない子が電車にパンパンに詰め込まれて都内に出荷されていったんです。

やっぱり不安になるし、誰かに頼りたいと思うじゃないですか。

会社の側もそんな精神的に不安的な若者になんとかしっかり働いて会社を盛り立てていってほしいとなれば、会社が疑似的に里親になるしかなかったんです。

日本で初めての『サラリーマン』という働き方をしてもなるべく辛くないようにしたんです。

戦前は地元で実際に血縁関係のある家族や親族の近くで、仕事や役割が決まってことが当たり前でしたが、

戦後の日本の復興を担うためには地元にへばりついてる若者を引き剥がして東京で働かせる必要があった。

ですから国はサラリーマンを作った。

その初めてのサラリーマンとして選ばれた世代のメンタルケアの方法として『会社は家族』という設定はとても使い勝手が良かったんです。

 

社長が一族の長。

部長や専務が親族を取り仕切ってる怖い父親や叔父。

その中間に面倒見のいい大人がいて、新卒の若者は子供たち。

普段は口に出さないけれど家族のみんなが一族のことを大切に思っている。

まさに家族ですよね。

 

右肩上がりの高度成長期のなかで『終身雇用』『年功序列』が機能しているうちはこれでも成り立ったわけです。

しかしこれが壊れて、「使えない中年は首を切られる」という事態が発生するとアラ、大変。

今まではどんな横柄な態度を取って呑んだくれていても家に置いていくれるものだと思っていたら、ある時家から叩き出されて戸籍から外されてしまう事態が発生したんですから。

こうなればおじさんたちも子供の面倒なんて誰も見ませんし、子供たちが成長した頃に『一族』がどうなってるかなんて誰も気にしてません。

『会社は家族』は機能的には完全に崩壊したんです。

それなのに価値観が新しくなったことに気づかない、アップデートしない人々は今だに

  • 社員は会社のもの(家族は家を守るもの)
  • 上司や先輩の言うことは絶対(父親の言うことは正しい)

という自分にとって都合の良い部分だけを残していいように振り回しているというわけです。

子どもを守りも育てもしない父親が子どもに酒を買わせに行ったり、気まぐれに手をあげるのと全く同じです。

ドイツの社会学者が見抜いた『ゲマインシャフト』と『ゲゼルシャフト』

画像引用元:テンニースの「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」の違い

戦前のドイツで活躍した社会学者フェルディナンド・テンニースは人々の集合体、コミュニティを2つに分類しました。

  • 地元の繋がりや血縁関係による自然発生的な『ゲマインシャフト』
  • 利益や機能、役割のために集められる『ゲゼルシャフト』

 

社会はすでにゲマインシャフトからゲゼルシャフトに移行しています。

これから僕たちは自分たちを商品として企業に使ってもらう、という大変ドライな繋がりの中で仕事をしていかなければいけません。

好むと好まざるとに関わらず、これは必然です。

 

『作れば売れる』の時代を過ぎ、今や全てのモノやサービスに競合が存在します。

そんな中で『家族的な繋がり』に基づいて、「必要ない人だけど一応いてもらうか」という余裕がドンドンなくなるからです。

会社はあなた人格には興味はなく、『あなたの機能』が必要だから買うんです。

 

『偽りの家族ごっこ』が終焉したのならそれはそれで健全なことなんですから、会社に勤める人全員がそれを受け入れればいいんです。

それなのに若者を使う側はいまだにゲマインシャフトの都合のいい部分、『若者は年長者を立てるもの』という部分だけを利用し、会社の不都合、不利益を解消するのに業務の外側において従業員が自主的に奉仕の気持ちで解決することに甘え、

雇用される側の若者もよもやお母さんが子どもを愛すように、会社が自分の人格や人生、家族まで丸ごと認めてくれるものだという過去の幻想から抜け出せずに、もはや存在もしないゲマインシャフトという神様をいまだに信仰しています。

 

『会社は家族』という設定はもう終わったんです。

 

「俺はどうせ社畜だからよぉ~」って嬉しそうに残業してる同僚っていません?

あれは口では悪態をつきつつも、そんなまやかしの家族に尽くしてる自分に酔ってるだけです。

昔から見ていた漫画やドラマの世界に描かれた『ガムシャラに会社のために尽くしてる大人』という幻想にどっぷりと浸かっているような気がして気持ちいいんですね。

潰れたテーマパークで動かないメリーゴーラウンドに乗って目を輝かせているのと一緒です。

別に何を信じようが個人の自由なのでいいんですけど、明らかに存在しない神様を信じてしまっているのは見ていてツラいですね。

会社が家族でないなら自分の居場所はどこなの?

これからは会社に居場所を求めてはいけません。

これからは『業界』に雇われる

そういった意識を持てるかがポイントとなります。

 

会社はその業界の中の一部にしかすぎません。

他にも同じような商品、サービスを扱っている会社はゴマンとあるはずです。

斜陽業界の中で全く同じような会社に転職してもあまり意味はありませんが、

「自分は何屋だ」

これさえ自分でわかっていれば一つの会社に固執しなくても、利益や機能、役割のために集められた別のゲゼルシャフトを求めて業界内を縦横無尽に渡り歩くことができます。

ゲマインシャフトに汚染されて、頭の上がらない上司、妙な暗黙の社内ルールに縛られていても、もはや何の保障にもなりませんが、ゲゼルシャフトを見て力を付けていく道を歩めば、休日出勤やサービス残業を暗黙のうちに強いられるなんて卑屈な人生を歩まなくても済みます。

ヘッドハンティングなどで次から次へと企業のトップを歴任するエグゼクティブが、家族をとにかく大切にする理由も心の平安を仕事の上の繋がりに求めないことが理由なんでしょうね。










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