「アイツつかえねーな」が魔女狩りに変わるとき

「アイツ、マジでつかえねぇよ」

 

僕の職場は日常的にこんなセリフの飛び交う、なんとも刺激的な職場だ。

 

ある日は先輩社員が後輩の人格を否定し、

次の日には中年のパートがマネージャーに対して「ここの社員は全員クソ」と怒鳴りつけている。

 

その中でも特に評判の悪い社員Aというのがいる。

誰に話を聞いても「アイツはどうしょうもない」という評価を得ているスター選手だ。

まぁ確かに。僕の目から見ても色々と足りない部分はある。

 

けれども職場の全員から満遍なく悪評を得られるほど『絶対的な悪』なのか?

というと、そうとも思えない。

 

なぜ、対して悪くもない、普通の人同士の集まりであるはずの『職場』において、ここまで酷い罵りが生まれるのかを考えてみると、少し見えてきたことがある。

 

人は自分が感じているストレスを『見える化』したいだけなんじゃないだろうか?

 

こう、毎日手を変え、品を変え、人を変え、「アイツが悪い」「コイツはどうしょうもない」などと罵れるほどの真の悪人ばかりが、自然と集まる場所なんてニューヨークの高架下ぐらいだ(偏見)

 

実際はその職場に蔓延っている、『人に恒常的にストレスを与え続けている目に見えない何か』に人の形を持たせることで罵りやすくし、そして実際に罵倒し、結果として疑似的にそのストレスに勝った状態を味わいたいんだと思う。

まぁ、中世に行われた『魔女狩り』みたいなものだ。

 

人間は対象が人の形をしていないと強烈に憎むこともできないし、愛することもできない。

 

高齢ドライバーの事故を憎み続けることは難しいが、池袋で暴走事故を引き起こした飯塚幸三容疑者という形を与えられれば何年も忘れずに憎み続けることができる。

仏教徒の僕らが『無常』を理解し、解脱の道を探ることはカンタンではないけれど、白髭のマッチョに向かって歌っていた讃美歌をラブソングに変えて叫ぶことはできる。

 

ある人を強烈に憎みたくなったときは「本当にこの人から発せられている問題なのか?」という一呼吸置くと、だいたいが周囲の環境や仕組みのまずさが原因で、「その人を代替したところで同じような問題が発生するなぁ」っていうことが多々ある。

そうするとけっこう冷静になれるのでおすすめですよ。

 

ちなみに『人は物事を擬人化したがる』という習性が思いっきり出ちゃってるのが宗教ですよ、っていうのがこの本です。

世界を創造し、大きな力で宇宙を動かしている絶対的な存在が白髭マッチョのおじいちゃんってのがすでにおかしくね?っていう。

「神は存在する、しかしそれはわかりやすく人の形をしているというのは人間側のご都合主義」っていうのは、無宗教気取りの日本人でも非常に納得感高い。

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