人間の能力の限界をはるかに上回る存在、まぁ僕は勉強が足りないからとりあえず思いつくとこでAIとかそういうやつですね。
努力とかそういうレヴェルを超えた圧倒的破壊力が自分の仕事に向けられた時のことは、ボチボチ考えておかなきゃならない。
そう思うのですよ。
中間業者『ホワイトカラー』の仕事が無くなる時代
今までは自社の商品の詳細なデータとかの中からその人の嗜好にピッタリなものをテーブルの上にスッと差し出すような技術ってホワイトカラーの仕事専売特許だったと思うんですよ。
言葉の定義が曖昧なのは気持ち悪いのでここでは『モノを作り出さない職業の人』ということにしましょう。
でもそれがAIが得意な「大容量のデータの瞬間的な解析」といった桁違いの分母から、正確に、サービス提供側の人間の個体差なく出てくるようになったらホワイトカラーの仕事なんてどんどん要らなくなる。
エンドユーザーとメーカーがどんどん直接繋がり始めた
原価に自らの対価として『手間賃』を乗せて請求してくる中間業者は、消費者にとっては構造的に疎ましい存在。
できれば排除したいけれど、今まではその術が無かったわけです。
でも、インターネットという買うために必要な情報を満遍なく届けられるシステムが出来上がって状況は変わりました。
別にみんながみんな、買い物する時に店員と血の通ったコミュニケーションをしたいわけでもないし。
知りたいことだけを簡潔に答えてくれるシステムさえあれば消費者だってバカじゃない。
隠されなければ自分で調べて自分で判断できますからね。
ある時誰かが気がついたわけです。
「別にアイツラ(中間業者)いらなくね?」
「確かに。直接やり取りしようぜ。」
モノやサービスをメイクする側が、需給のムラや顧客対応の面倒さえ飲み込む腹積もりさえ決まれば、技術的には全く問題なくなってしまったんですね。
「である社会」から「する社会」への移行がホワイトカラーの仕事を奪う
この「それを言っちゃあおしめえ(お終い)よ」は、今まで『業界』とか『組合』に代表されるおじさんの臭いがプンプンするものに守られてきました。
おじさんはコミュニティの成員みんなが困らないように動くのが本義だからね。
でもそんなことよくわからないヤンチャな若者にとっては頭の固いおじさんて邪魔でしかないんですよね。
そこにいよいよITで武装された20代の兵士たちが次々と送り込まれ、プログラミング言語という兵器の銃口を向け、ホワイトカラーの仕事を生業としてきたおじさんたちの掃討作戦を繰り広げている。そんな感じがします。
丸山眞男が読み解いた日本社会の構造に「である社会」と「する社会」というものがあるけど
今までは「どこそこの会社の何々」という部分を重んじて仕事を展開していた日本も、だいぶ「んで、何ができるの?」という風潮に変わってきましたよね。
30代以降の転職で重視されるのもそのあたりですし。
どこそこの何々として業界の優秀な成員であることのみに重きを置いていた人たちは、この「んで、アンタ何ができるの?」砲には滅法弱いです。もう丸腰。
「業界のしきたり」として存在していた中間業者の中で、そのコミュニティの成員「である」ことを仕事にしてきたような人たちは、今後益々インターネットが頭の上を飛び越えて、MAKERとENDが楽しそうにしているのを指を咥えて見ているしかなくなるでしょう。
そしてその指が噛みちぎれるのを待たずして、そのコミュニティ自体が無くなり、忘れられる。
ってかそうなればいいと思う、ホント。
もういいかげん『仕事やらされてるんです大人』は絶滅させないといかんでしょ。
一番は本人のために。
その人らしい価値、面白い組み合わせを提案できる編集力がないとホワイトカラーとして仕事をする意味はない
これからのホワイトカラーには二つの道しか残されていない、そんな気がしてる。
一つはMAKERへの道。
どんどん公開されていくプラットフォーム。
自由な発想でモノを作ることにはまだ多分にAIに取って代わられない人間用の余地は残されているように思います。
ロボットの自我の目覚めというテーマを描いた映画『オートマタ(字幕版)』でも言っていたようにロボットにロボットを作らせることには倫理的な問題もあるし、そこまでの自由を人間をはるかに超えた者たちに渡す覚悟は人間側にはまだないんじゃないでしょうか。
今まで大きな会社で、たくさんの人と設備がないと作れなかったものが、
シェアリングエコノミーや3Dプリンターのような「代わりに何でも作ってくれる超高いマシンをみんなで使おうぜ」的なマインドで作れるようになっていく。
MAKERになるハードルは今後もどんどん下がる。
今から「自分はどうしてもこの世界にコレが無いのは許せない」
というものに向かって歩き出すのも全然アリですよ。
もう一つの道は編集力をつけること。
相手の要望、それは相手が気づいていないことまで含む、その要望に対して独自の組み合わせで解決策を提案できる『編集力』をつけるしかないんじゃないでしょうか。
だいぶ乱暴な話をしましたけど、いきなりホワイトカラーとしての仕事がなくなるわけじゃ無いし、誰かに何かを頼みたい人はいつだっているわけで。
AIには所詮、大容量の客観的データの取りまとめしかできていないです(今のとこ)。
そういった作業の外の部分。
エピソードや人柄、主観的な好みがドロドロに絡みついた「どう考えてもこの解決策がベストでんがな!」という人間臭い提案やアイデアがモノを言う世界になるんじゃないかと。
AIが優秀すぎて、結局人間一人ひとりが『人間臭さ』を取り戻していかざるを得なくなるっていう。
逆説的だけどすごいハートフルじゃないですか?
今までマシーンのように正確に働くことを積み上げてきた最終地点が
マシーンでいる必要が無くなり活き活きと自分らしいプロフェッショナルでいることを余儀なくされた世界。
多様性なんてレヴェルを超えた70億種の仕事がある世界。
編集力を付けて人間臭さを磨きましょう。