世界は贈与でできているの書評記事

「世界は贈与でできている」で「合理主義モンスター」の呪いが解けた(気がする)

ちょっとこの本については書かずにはいられないぞ、ということで書いています。

そのぐらい「誰かに知ってほしい!」と思わされる本でした。

今回ご紹介するのは近内悠太さんという方の『世界は贈与でできている』です。

あなたもすでにもらっちゃってるのかも

『世界は贈与で出来ている』における贈与

自分のために用意されたわけではないのに、なんともいえない幸福感をもたらしてくれるもの

まるで自分のために用意されたオーダーメイドのような気すらしてきてしまうほどの壮大な勘違い。

 

これをいわゆる『お金で買えないもの=贈与』というらしいです。

僕はそのように解釈しました。

 

例えば、東京国際フォーラムの静かな吹き抜けでボケーっとしていると感じる貸切感、というかリッチな気分になる感じ。

僕はあの建設に関してビタ一円たりとも払っていない。

お金とサービスを交換したわけでもないのにめちゃくちゃ恩恵を受けたりしてる。

そこには東京国際フォーラムの建築に関わった人の「こんな空間にしたら利用者さんはきもちいいだろなぁ(←僕の妄想)」や、

自由に通る事を許可してくれている人からの「せっかくだから待ちゆく人が自由に通れるように開けとくか(←僕の勝手な思い込み)」という

別にそこまでする必要ないのに良かれと思ってやってくれたことが溢れとる。

もちろんそこの建築に携わった人は僕のことなんて知るわけもない。

知るわけもない僕に対しても感じられるほどの恩恵を残してくれているからこそ、宛先のない贈り物としての贈与が成立する。

贈与は相手の顔がわかってしまうと見返り目当ての『交換』になってしまうからね。

 

こんな身近なふとしたことにすら『贈与の残滓』を感じられるわけだから、僕らが生きているこの世界は贈与で溢れに溢れかえっているというわけ。

うむ、確かに『世界は贈与でできている』

 

『世界は贈与でできている』って言ってる人からの贈与がすげーな

この本から得られる『贈与』という切り口で物事を見ていくと、人間の『一見すると非合理的な行為』がいかに重要かが、心の冷たい人でも非常にロジカルに理解することができます。(体験談)

  • なぜ、親子間での『無償の愛』は成立するのか?
  • 無駄な付き合いを一切断ち切ってばかりいるビジネスモンスターの先にある脆弱な未来とは?
  • なぜ大人になると新しい友達の作り方がわからなくなるのか?
  • 僕らは一体、今使わないお金を何で稼がなくてはいけなくなってしまったのか?
  • 報われない努力はやめるべきか?
  • なぜ、収入や地位は仕事に対するモチベーションを保ち続けてくれないのか?

 

これらのことについてかなり明快に、しかも『贈与』という一つのロジックのみで論じ切ってる。ハッキリ言ってかなりの荒技です。

 

なんか、山から無名の剣士が出てきて、有名な道場の名の知れた剣客たちをあっという間に切り伏せていく感じ、しかも名刀『贈与』で、っていう。

その名刀をあげますよって言うんだから、近内さんからの贈与もかなりのものですよ。

 

資本主義の「すきま」でうまくやりましょうよ

僕らが抱きがちな、ステレオタイプな悩みって何でなくならないのかといえば、

結局、僕らが毎日の生活でたっぷり慣れ親しんでいる『自由な資本主義』にセットで必ずついてくるものだからなんですよね。

僕らは物心がつく前から体の芯まで『交換』が染み付いてる。

 

サブタイトルにもあるように、僕らは『資本主義』という設定の上でフラフラしてると思うんですよ。

 

うまく馴染める奴は要領良く口座の残高増やしていくし、

なんだかしっくりこない奴はいい歳こいてもどこか別の場所に居場所があるような感じのまま老けてく。

 

そこで『打倒!資本主義!』みたいに共産主義よろしく、潔癖に走るのも今さら、ねぇ?

 

 

僕らが日々直面したり、将来にわたって尾を引きそうな問題に対して蓋をするわけでも、10-0で戦わせようとするわけでもなく、

 

「まぁまぁ、資本主義がやり過ぎな部分もあるけど『交換の原理』が全てってわけでもないでしょう?」

 

「もう使いはじめちゃってるものはそのまま使いつつ、それ以外の部分にも目を向けてうまくやりましょうよ」

 

っていう大人な態度。

いやー、マジすっきり腹落ちするわー。

 

本当に良い本に必ず共通するもの

最後にこの本で僕が最も感動した言葉を引用させてもらいたいと思います。

 

発見されるのは未来であるが、その発見される当の事実は僕らの発見よりはるか昔から世界の内に存在していた。

(中略)

だから、僕らは何かに気づいたとき「そうだったのか」と過去時制を口にしてしまうのです。

出典:『世界は贈与でできている』

 

いやつまりね、科学的発見をした時も、親がお世話になってる人が僕に対して腐心してくれていた事に気づいた時も、良い本に出会って良い気づきを得た時も、

共通して「あ!アレってつまりそういうことだったのか!」って後からなるよね、ってことなんだけど、

そこ繋げて共通点見つけてるのって、すごくない?

僕ココ読んでて、地下鉄のホームでホント鳥肌立っちゃったんだけど。

 

つまり僕らの心が動かすものって、はるか彼方の、もう自分ではどうにもしようのない過去からのもので、それにいっつも後になってから気づく。

しかもそれは変わることなく未来までずっと続いてくんやで?っていう、

これって『そこには永遠性がある』って言うんだって。

 

もう、いいお酒が飲めすぎる。おまえは飲ませ上手なママか。

 

だから良い言葉、良い気づきに出会えた時はいつも「そうだったのか」しか言えないんだよね。

僕に対する贈与はすでに終わっちゃってるから。

受け取っちゃった側はもうどうすることもできない。

 

「いやー!こんな気づきを与えてもらっちゃって、ホント、もうしわけない!」

「ぜひ今度ご飯でもご馳走させてくださいよー!」

って偉人の石碑の前で行ってもしょうがないですもん(笑)

 

しかもこれって親からの愛とか、先人の知恵とか文化とか、全部に共通することなんよ?ってことを書いてるすんごい文章。

いやー参った。あっぱれ。

 

僕は著者の近内悠太さんから贈与を受け取ってしまって、いてもたってもいられずに

「誰かにこの本の良さを伝えねば!」という焦燥感に駆られて、思わず『メッセンジャー』になってしまいました。

 

そう、良い贈与を受け取るともらった相手ではない、他の誰かに渡したくなるんです。

この辺りにも先ほどの数々の問いを解決していくヒントになります。

気になる方はぜひ本書を手に取って読んでみてください。

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